アメカジブランド論1(思想編)
私はレプリカメーカーと一般的に呼ばれているブランドを、偏愛しています。 レプリカメーカーとは、大体1930年代〜60年代頃の間に作られた服を、 当時のデザインと生地を追いかけて復刻しているブランドのことです。 そういったブランドに興味のない方々も、 ヴィンテージと言う言葉と 「どう見てゴミにしか見えないバカ高い服」 にお金を散在した小汚い人々の事は、 頭のどこかにイメージはあるのではないでしょうか? なぜ、そんなゴミの山に大金を出す人種が存在するのでしょうか? 「それは、バカだから」 半分正解です。 今より半世紀以上前のモノですので、 単純に機能性を考えれば、 現行品の方がはるかに優れています。オマケに安いです。 時代を経て技術も進んでいるので、当然、品質も優れているし、コストパフォーマンスも高い訳です。 しかし、丈夫さ、簡略化、コストパフォーマンスUPの為の作業の効率化によって、 喪われてしまった部分に魅力を感じる人間もいるのです。 生地が弱いゆえにできる皺や、ねじれ、色落ちにどうしようもない美を感じてしまう変態は結構いるんです。 そういった人達のおかげで、ヴィンテージブームは起きました。 今の服とは違うOLDの服は限られた資源ですので、 自分の感情欲望を満たす為なら、お金は問題ではないと言う好事家 (と言えば聞こえはいいのですが……まあ、変態ですな)の欲望の嵐に巻き込まれ、 他人の履き古した小汚いジーンズは、車一台分位の値段になっていきました。 ヴィンテージアイテムは、とてもじゃないですが、 ちょっとオシャレしたいと言う気分で買えるモノではなくなってしまいました。 デッド501XXなんて、 一番オシャレしたい時期の10代後半〜20代にかけての小僧どもには、 人生かけるくらいの覚悟がないと買える値段ではありません。 そこで、ヴィンテージを少しでも味わいたいと思う人のために、 当時の服を復刻する人達が出てきました。 レプリカブランドの登場な訳です。 ヴィンテージを絵画に例えるならば、現行品はポスターで、レプリカブランドはリトグラフと言う所でしょうか? 手間隙とコストをかけてまで、簡略化する事で喪われてしまった当時の服の中にある「美」を追いかけて (半世紀前のミシンを見つけてきて、錆を落として使うなど) モノ作りをしてくれているおかげで、 私たちはヴィンテージよりはるかに安価で、ヴィンテージに近い服飾ライフを楽しむ事ができるのです。 しかしっ、 GAPやユニクロで1本2000円でジーンズが買える時代、 レプリカメーカーのモノは2万円を超えるモデルがほとんどです。 それで頑丈かと言うとけしてそういうことはなく、 服としての寿命は、現行品の3分の1以下です。 確かにまだ高いような気もします。 私ももう少し安くなればなあ〜とか思っています。 ですが、その代価分の満足は絶対に与えてくれます。 高いと思いつつ、何度も買ってしまうのは、 その金額に見合った喜びは確実に貰っているからなのです。 よくブランドに狂っている女性を馬鹿にする人がいますが、 私は「シャネルやグッチなどで散財した人」よりも「買いもしないで文句を言っている人」の方が、 不幸で愚かだと思います。 だって、世の中にある喜びを一つ知らないわけだから。 私はシャネル、グッチを買った事はありません。 それは、まだ私自身にはそれらの魅力を理解する能力がないからで、 理解している人に比べると、少し寂しい事だと思っています。 たまに「オレはユニクロで十分だ」と、 自慢げに語る偏屈なオッサンがいますが、 なんで「知らないこと」「努力をしない事」を自慢できるのか、全く私には理解できません。 少なくとも高いブランドやメーカーの物を買っている人の方が、 服飾という分野において、ずっと努力しているのだから。 彼らは決まって「流行に踊らされている」と聞いた風な事を言いますが、 流行というリズムはハードでテンポが速く、それに合わせて踊る為には、 鍛錬とセンスがいることを、 メディアに踊らされている(こちらのリズムは、単調なテンポで、誰でも乗れます) 人達にはわからないようなんですよねえ〜 では、私の好きなブランドを紹介します。流行の事を語った後でなんですが、微妙に流行とはずれてます。 アメカジブランド論2(メーカー紹介編)へ |